前回の定例会レポートでソールライター展にみんなで行って来たと書きましたが、今回はそのソールライター展を見たそれぞれのレビューを掲載します。まずは矢野巌のソールライター展レビューです。

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彼の作品にはラルティーグのような明るさもなければ、ブレッソンのユーモアもない。
しかし写真特有の艶っぽい光沢に絵筆の息遣いがある。
荒い呼吸ではないが、決して呼吸をやめない強い息遣いが。
それは必然で、もともと彼は生涯を通じ絵筆を動かし続けた人なのだ。

では、彼にとって写真とは何だったのだろうか。
彼は1950年代のファッション写真業界で時代の寵児となりながらも、
そこでの1年よりもボナールのデッサン1枚の方が価値があると嘯いたという。
華やかなファッションの一線を退いてからの生活は、隠遁と呼ぶにふさわしい。

絵を志して生家を飛び出し、
糊口を凌ぐためにと生業にした写真で図らずも名声を得たのち、
世を避けて絵を描き 続けながらも、図らずもまた写真で脚光を浴びる。
なんという運命の皮肉だろう。
嬉しくなかった筈はない、しかしそれを認めることは自尊心が許すまい。

多くの偉人が語りがちな普遍的真理や哲学というよりは、
独白に近い言葉の数々からは、写真に対する衝動と同時に屈折した自意識が滲み出る。
名声とチャンスを掴むことを半ば意識的に避け続けたことを自認しつつ、
描くことも撮ることもやめないでいた日々には、NYの雪のように積もる想いがあったに違いない。

自身も写真の才能は自覚していた筈で
もしも先に絵で認められ、後から写真で認められていたならば、
きっと彼は多くの偉人たちと同じように、我々に向けて大きな言葉で語りかけただろう。

bukamuraでの展示 を眺めながら、僕の脳裏にはカフカが幾度となく浮かんだ。
人並み外れた才を持ちながら、本人もそれを自覚しながら、
作品が世に出ることを誰よりも渇望しながら、死後には作品を全て焼却するようにと遺言したカフカが。

彼はカフカのように多くの言葉を持っていない。
しかし写真の行間からは低い、呟くような声が途切れがちに絶えることなく語りかけてくるのである。

繰り返し作品に登場する鮮やかな傘。
モノトーンの世界の中で鮮烈な色を放つ傘。
下を向きそうな時、世界が灰色になりそうな中で、
時おり色彩を見つけては愛おしみ、救いとしたのではないだろうか。

写真は彼にとって苦しみでもあり、救いでもあったに違いない。

矢野巌

※今回、bunkamura『ニューヨーク が生んだ伝説 写真家 ソール・ライター展』
 コーディネーターである佐藤正子さんより、展示へのご招待をいただきました。
 そのご厚意と素晴らしい展示に深く感謝いたします。

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photo 椿原桜果/ word 矢野巌/ blog editor 椿原桜果
2017.06.28
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